このたび三笠爽友会では、旧三笠コカ・コーラ社が設立された1962年から、コカ・コーラウエスト社に商号が変更された2009年迄の48年間に亘る歴史を、「三笠コカ・コーラの歩み」として整理し、その概要をまとめました。
旧三笠コカ・コーラボトリング株式会社は、その前身である三笠飲料株式会社として、1962年12月20日(昭和37年)西武化学工業株式会社の全額出資により設立され、その翌年の1963年3月(昭和38年)総員わずか20数名の社員で操業を開始しました。当時の清涼飲料業界は、ラムネやサイダー等の透明飲料がその主を占め、わずかにオレンジ飲料や希釈飲料等が脇役として存在する様な状況でありました。
この様な市場環境の中、コカ・コーラ商品は、ディーラーとの醤油・ソース問答や現金取引等各種の障壁はあったものの、瞬く間に市場を席巻するかのごとく伸張していきました。当時の飲料業界にとっては、その色合いからしてかつての黒船の来航時にも似た思いを抱いた方も少なくなかったのではないでしょうか。現に、1969年10月には危機感を抱いた関西の中小清涼飲料業者の団体が、のぼりやプラカードを掲げて、当社門前にデモ行進を仕掛け、抑制と自重の意思を投げかけたのでありました。
この様な軋轢はあったものの35円という当時としては決して安くない小売価格ながらも、ユニークな味やボトルの形状等、ファッショナブルな飲み物として若い人達の圧倒的な支持を受け、更には日本経済の発展と相まってその後も著しい伸張を遂げ、三笠コカ・コーラ社もその波に乗り、大きな発展と成長を遂げたのでありました。
しかし、バブル経済崩壊後の1990年代からの長期不況の影響を受け、セゾングループ基幹各社の衰退が急激に進み、2001年にはそのグループが事実上崩壊するに至りました。この様な状況下、2001年3月時点で既に大株主となっていた西武百貨店が、その持ち株の全てをコカ・コーラウエストジャパン株式会社へ譲渡し、三笠コカ・コーラ社はその傘下に組み込まれることとなりました。
そして、国内でのアンカーボトラー構想が徐々に進行する中、2009年1月1日、新会社コカ・コーラウエスト株式会社に組み込まれ、48年の輝かしい歴史に幕を降ろすこととなりました。
三笠爽友会といたしましては、このように地域と共に発展し成長してきた三笠コカ・コーラ社の足跡が時代の流れにより風化し、社会の記憶から消え去ることに一抹の寂しさを覚え、それを記録とて残すことと致しました。
広範囲に及ぶ資料の収集には制約もあり、多くを網羅することが出来ず、限られた内容となりましたが、引き続き今後も新たな資料や情報をもとに補足しながら本編をとり纏めていく予定にしております。
会員の皆様には、何卒ご協力を賜りますよう御願い申し上げます。
本社・奈良工場(1964年)
滋賀工場(1968年)
和歌山工場(1971年)